取材・報道の自由について調べてみました。

メディア法にもちょっと関心があります。




取材・編集・報道の自由も、国民の知る権利に資するため、憲法21条により保障されます。


でも、判例ではあまり重視されてはいないようです。




最判昭44・11・26)「博多駅事件」

一 報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあり、報道のための取材の自由も、同条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。
二 報道機関の取材フイルムに対する提出命令が許容されるか否かは、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、これによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度、これが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合でも、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。



最判平2・7・9)「TBSビデオテープ押収事件」

本件差押は、暴力団組長である被疑者が、組員らと共謀の上債権回収を図るため暴力団事務所において被害者に対し加療約一箇月間を要する傷害を負わせ、かつ、被害者方前において団体の威力を示し共同して被害者を脅迫し、暴力団事務所において団体の威力を示して脅迫したという、軽視することのできない悪質な傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件の搜査として行われたものである。しかも、本件差押は、被疑者、共犯者の供述が不十分で、関係者の供述も一致せず、傷害事件の重要な部分を確定し難かったため、真相を明らかにする必要上、右の犯行状況等を収録したと推認される本件ビデオテープ(原決定添付目録15ないし18)を差し押さえたものであり、右ビデオテープは、事案の全容を解明して犯罪の成否を判断する上で重要な証拠価値をつものであったと認められる。他方、本件ビデオテープは、すべていわゆるマザーテープであるが、申立人において差押当時既に放映のための編集を終了し、編集に係るものの放映を済ませていたのであって、本件差押により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となって報道の機会が奪われるというものではなかった。また本件の撮影は、暴力団組長を始め組員の協力を得て行われたものであって、右取材協力者は、本件ビデオテープが放映されることを了承していたのであるから、報道機関たる申立人が右取材協力者のためその身元を秘匿するなど擁護しなけれならない利益は、ほとんど存在しない。さらに本件は、撮影開始後複すじ数の組員により暴行が繰り返し行われていることを現認しながら、その撮影を続けたものであって、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえるが、そのような取材を報道のための取材の自由の一態様として保護しなけれならない必要性は疑わしいといわざるを得ない。そうすると、本件差押により、申立人を始め報道機関において、将来本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しない。このような事情を総合すると、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、申立人の受ける不利益は、受忍すべきものというべきである。




暴力団員の生活に密着した取材テープは、組織の人たちとの信頼あって初めて撮れる貴重なもののはずですが、比較較量されると、取材の事由は弱いようです。





ドイツやアメリカの州レベルの裁判所では認められている証言拒否権も日本だと、認められないようです。





最判昭27・8・6)「石井記者事件」

一 新聞記者は記事の取材源に関するという理由によつては、刑訴法上証言拒絶権を有しない。
二 憲法第二一条は、新聞記者に対し、その取材源に関する証言を拒絶し得る特別の権利までも保障したものではない。
三 刑訴第一四六条は、憲法第三八条第一項による憲法上の保障を実現するための規定であるが、刑訴第一四七条の規定は、右憲法上保障される範囲には属しない。
四 刑訴第二二六条に基き証人を尋問するにあたり、被疑者が未だ特定していなくても、それだけで、刑訴第一四六条による証言拒絶権を奪い憲法第三八条第一項に違反するということはできない。
五 検察官が刑訴第二二六条により裁判官に証人尋問の請求をするためには、捜査機関において犯罪ありと思料することが相当であると認められる程度の被疑事実の存在があれば足り、被疑事実が客観的に存在することを要しない。







あとは、ちょっと違いますが、法廷でメモをとる自由も、訴えたのは外国の人でした。

日本人の表現の自由への意識の低さがわかります。





最判平1・3・8)「レペタ事件」

一 憲法八二条一項は、法廷で傍聴人がメモを取ることを権利として保障しているものではない。
二 法廷で傍聴人がメモを取ることは、その見聞する裁判を認識記憶するためにされるものである限り、憲法二一条一項の精神に照らし尊重に値し、故なく妨げられてはならない。
三 法廷警察権の行使は、裁判長の広範な裁量に委ねられ、その行使の要否、執るべき措置についての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならない。
四 法廷でメモを取ることを司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ許可し、一般傍聴人に対して禁止する裁判長の措置は、憲法一四条一項に違反しない。五 法廷警察権の行使は、法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情のない限り、国家賠償法一条一項にいう違法な公権力の行使ということはできない。






あるある大辞典の問題とかで、放送法を厳しくするような動きがあったようですが、国民の「知る権利」を制約する側面もあるということも意識しなければならないと思います。

実際、規制がかかっていたり、厳重注意をうけた放送や音楽は結構あるようです。