予備の共同について調べてみました。


自分で勉強してて、何言ってんだかわからなかったテーマです(笑)
長いけど、判例読めばよかったです。


予備罪についての判例は、最決昭37・11・8の下級審(名古屋高裁)のものが参考になります。
事案は、「被告人は、昭和三五年三月上旬ごろ、従兄にあたるAから、同人がかねてから密通しているCとの関係を続けるため、同女の夫Bを殺害したいとの意図を打明けられたうえ、その殺害の方法等について相談をもちかけられていたが、当初は真剣こ右相談に乗る気持はなく、むしろ右Aの言動をからかいちよう弄しているうち、同人のB殺害の決意は固く、しかも、度び重ねてその殺害方法について相談をもちかけられるうち、これをあしらいかね、同年六月二五日ころに至り、Aから右B殺害の用に供するための青酸カリの入手方の以来を受けるや、同人にこれを手交すれば同人がこれを使用して右殺人の用に供することのあるべきを認識しながら、その青酸カリの入手方を承諾し被告人において知人Dから青酸ソーダを譲り受けたうえ、同月二七日ころの午後九時ころ愛知県西春日井郡a村大字b字cd番地のe村営住宅f号のA方こおいて、ビニールに包んだ青酸ソーダ杓三八瓦(証第三、第四号在中のものはその一部)をAに手交し、もつて右Aと共同してBに対する殺人予備の行為をした」というものです。



(名古屋高裁昭36・11・27)

「さて、教唆犯、従犯は、自ら犯罪を実行するものではなく、他人の犯罪に加功する犯罪の一形式である。自ら犯罪を実行する者を正犯というのに対して、この正犯たるべき者を教唆して犯罪を実行させた者が教唆犯、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者が従犯とされるわけである。そして、このような教唆犯、従犯が処罰されるのは、それらの行為が、いわゆる正犯の犯罪の実行行為に加功した点にあるのであつて、正犯の犯罪の実行行為が成立しない以上、教唆行為、幇助行為それだけを独立に処罰することはない。(いわゆる共犯の従属性)このように教唆犯、従犯は、抽象的にあるなんらかの犯罪の教唆、従犯とされるものではなく、正犯の特定の犯罪の実行を前提として、この正犯の犯罪の実行に対して、教唆犯、又は従犯といわれるわけである。刑法六一条、六二条は、このことを明文を以つて示している。教唆犯の場合は、当面の問題外におき、従犯に限つていえば、右六二条に「正犯ヲ幇助シタル者ハ従犯トス」とあるのは、論旨もいうように、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者という意味であり、幇助行為それじたいとしては、正犯の犯罪の実行行
為前に行われようとも、これを処罰するためには、正犯が犯罪の実行行為に着手することを要件とするわけである。(正犯の犯罪実行中に幇助する場合は、この関係は明らかである。)そして、その正犯が犯罪の実行行為に着手するというのは、正犯が刑法各本条の規定する各犯罪のいわゆる構成要件的行為の実行に着手することをいうものであることも論旨の指摘するとおりであるから、従犯か処罰されるのは、正犯の行為が、少くとも、特に未遂罪として処罰される場合であることを要するということになる。然し、このことは、刑法が正犯の既遂を処罰するのを原則とし、その未遂が処罰されるのは、あくまで例外であつて、刑法各本条に、特別に、未遂罪を処罰する旨の規定がある場合に限るという構造をとつていることからひき出される結論である。従つて、刑法が、特殊例外的にある犯罪の予備罪を処罰している場合には、特に、その場合に限つて、予備罪の従犯が認められるかどうかについて、やはり特別に考えてみなければならない。すなわち、未遂罪が処罰されるのも、このように例外であるが、刑法は、ある種の犯罪の危険性、従つて、その可罰性の著しく高いことに着目して、これを未然に防遏しようとする特殊の考慮に基いて、この種の犯罪については、特に、実行の着手前の段階、すなわち、実行の着手前において、実行行為を準備する行為をとらえて、これを予備罪として独立に処罰することとしているのである。本件の殺人予備の如きがまさにそれである。そして、刑法各本条の規定している当該各犯罪は、正犯の既遂としてこれを類型的に刑法が規定しているので、これを講字上基本的構成要件というならば、予備罪は、これらの基本的構成要件を離れて独立に、その犯罪の類型が定められるものではなくある犯罪の基本的構成要件を前提として、そこから初めてその犯罪の予備罪の類型が定められるのであるから、それは、前記基本的構成要件に修正加工を加えたもので、いわゆる基本的構成要件の修正形式として観念されるわけである。そして、このようにある犯罪の予備罪が独立に処罰される場合には、その予備罪を構成する行為も当然に考えられるわけで、それは、その予備行為が発展した場合のいわゆる犯罪の実行行為を基本として、その内容を限定されるものではあるが、予備罪そのものについていえば、その予備罪というある犯罪の基本的構成要件を修正する構成要件を充足する行為がそこに予定されていることは当然である。いま構成要件を充足する行為を実行行為というのであれば、予備罪が独立して処罰される場合の、いわゆる修正された構成要件を充足する行為も又実行行為とよぶことが許されるのである。(この意味で実行行為の概念も関係的、機能的な概念である、といわれる。)そして、このように、予備罪の実行行為というものを観念することは、予備罪の正犯を考え、あるいは、その共同正犯を考える場合に、文理解釈のうえで起る障害を取りのけることに役立つであろう。すなわち、共同しである犯罪の予備をした者、すなわち、予備の実行行為を共同にした者は、予備罪の共同正犯であるが、予備罪の実行行為を観念できない、とすれば、文理上予備罪の共同正犯も又あり得ないという奇怪な結論に達する。(二人以上の者が共同して殺人を計画し、その用に供するための兇器を共同して入手して準備した場合の如きを考えよ。)従つて、刑法総則の規定の適用において予備罪の実行行為というが如きものは観念できないという論旨は採るを得ないもので、予備罪の従犯の成立を考えるについて、実行行為の概念を固定のものとして文理解釈に依拠することは許されない次第である。」
「このように予備罪の実行行為を観念できるとして、刑法六二条の従犯の成立要件としての正犯の実行行為というのは、右に述べた意味における正犯=予備罪の正犯=のいわゆる実行行為をも含むものであろうか。
 すなわち、刑法総則の従犯に関する規定は、予備罪が独立に処罰される場合のその予備罪についても適用されるのであろうか。同法六四条によれば教唆犯、従犯が処罰されないのは、拘留又は科料にのみ処すべき特別の犯罪の場合(但し、その場合でも教唆犯、従犯を処罰する特別の規定がある場合は除かれる)に限られるもののようにも解される。もし、そうだとすれば、予備罪=本件では殺人予備罪=の実行行為を考え、それが独立して処罰される限り、予備罪の従犯も又処罰されるということになり、文理解釈上の支障も生じないわけである。然し、仔細に検討してみると、この解釈には賛成することができない。思うに、犯罪の予備行為は、一般に基本的構成要件的結果を発生せしめる蓋然性は極めて少なく、従つて法益侵害の危険性も少ないわけであるから、通常可罰性はなく、特に、法益が国家的、社会的にすぐれて高いものと評価される特殊の犯罪に限つて、これが準備行為、すなわち、右の犯罪の実行を準備する行為までを、法益侵害の危険性が看過できないものとして、刑法は、例外的にこれを処罰の対象としているのである。本件の殺人の予備罪の如きもそうである。然し、犯罪の予備行為というものは、実行行為に着手する以前の、犯罪の準備行為を含めて、犯罪への発展段階にあるすべての行為を指称するものであり、基本的犯罪構成要件の場合の如く、特に、それが定型的行為として限定されていないところに特色がある。従つて、予備罪の実行行為は無定型、無限定な行為であり、その態様も複雑、雑多であるから、たとえ、国家的、社会的にその危険性が極めて高い犯罪であつても、その予備罪を処罰することになれば、その処罰の範囲が著しく拡張され、社会的には殆んど無視しても差支えない行為、延いては又言論活動の多くのものまでが予備罪として処罰される虞れもないわけではない。そこで、刑法はこのように処罰の範囲が徒らに拡張されることを警戒して、広般な予備行為の範囲を限定して、予備罪を構成すべき行為を限定的に列挙する場合もあり(例えば、刑法一五三条、なお特別法として爆発物取締罰則三条の如きもそうである。)、更に又予備罪については、情状に因りその刑を免除することにもし
ているわけである。ところで、従犯の行為も又同様無限定、無定型である。従つて、もし、予備罪の従犯(正犯が予備罪に終つた場合の従犯)をも処罰するものとすれば、その従犯として処罰される場合が、前の予備罪の正犯の場合にもまして著しく拡張される危険のあることは極めて明らかである。かの助言従犯の場合の如きを考えれば、言論活動の多くの場合までが、直ちに予備罪の従犯として処罰される危険性が、高度である。従つて、予備罪の従犯を処罰するかどうかについては、特に厳正な解釈態度が要求されるのである。しかも又、従犯の刑は正犯の刑に照して減軽されているわけであり(刑法六三条)、従犯の違法性、可罰性は、正犯のそれに比し軽減されているものであることも又否定できない。してみると、予備罪が特に明文の規定をまつて処罰される場合においても、その刑は、既遂、未遂のそれに比し極めて軽いのであるから(殺人予備罪の場合も二年以下の懲役であり、情状に因りその刑が免除される。刑法二〇一条」、これより違法性、可罰性の更に軽減されるその従犯までを処罰するについては、これを解釈に一任することなく、法の明文を以つて特に明確にすべきである。」
「予備を独立に処罰する旨の規定があるからといつて、それを理由として、予備の背後関係にあつて、予備罪の正犯に比べその違法性、可罰性のより減少したその従犯までを処罰しなければならない必要性、合理性は少しも正当化されるものではなく、予備罪の従犯を処罰するかどうかは、やはり刑法全体の精神から論定すべきことがらである。」
「わが刑法は、予備罪の従犯を処罰するのは、特に明文の規定がある場合にこれを制限し、その旨の明文の規定のない場合は、一般にこれを不処罰にしたものと解すべきである。すなわち、総則規定としての刑法六二条の規定は、予備罪が独立に処罰される場合においても、当然にその適用があるものではない、ということになるわけである。してみれば、殺人罪の予備罪の幇助行為について、特にこれを処罰する法律の規定はないのであるから、被告人の原判示所為を殺人予備罪の幇助(予備幇助罪)として処罰した原判決は、既にこの点において法律の解釈を誤つた違法があるものというべきである。」
「正犯と従犯とを区別するについても、いわゆる主観、客観の複合体としての行為の性質、すなわち、行為者の意思とその外部に表現された行為の形式の双方を併せて考察し、これを区別の基準とするのが相当である。そして、このことは、犯罪の実行の着手に至る以前のすべての行為、そして実行行為を準備する行為を処罰する予備罪の場合についても同様である。」


上の判例は、殺人予備罪の幇助行為は処罰されないこと、他人から殺人の用に供するための青酸カリの調達入手方の依頼を受け、これを入手して、その他人に手交した者は殺人予備罪の共同正犯であると判断しています。
予備行為にも実行行為性を認めたことがポイントです。


もっとも、この判例は予備の幇助を否定していますが、予備の幇助も観念することができますし、64条を反対解釈することで、予備罪の幇助犯の成立が認められると考えることもできます。


刑法64条(教唆及び幇助の処罰の制限)
拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。(→懲役刑の教唆・従犯は罰する。)








これと似たもので、予備の中止が成立するかどうかという問題もあります。
でも、眠たいので今日はここまでです。色づけする体力もない…。