行政財産について調べてみました。


行政財産の目的外使用について、有名な判例があります。



(最判昭49・2・5)

被上告人の本件損失補償請求を一部認容した原判決を是認することができるかどうかについてみるに、前記国有財産法二四条二項は「これに因つて生じた損失」につき補償すべきことを定めているが、使用許可の取消に際して使用権者に損失が生じても、使用権者においてその損失を受忍すべきときは、右の損失は同条のいう補償を必要とする損失には当たらないと解すべきところ、原判決の前記判示によれば、被上告人は、上告人から上告人所有の行政財産たる土地につき使用期間を定めないで使用の許可を受けていたが、当該行政財産本来の用途または目的上の必要が生じて右使用許可が取り消されたものということができる。このような公有行政財産たる土地は、その所有者たる地方公共団体の行政活動の物的基礎であるから、その性質上行政財産本来の用途または目的のために利用されるべきものであつて、これにつき私人の利用を許す場合にその利用上の法律関係をいかなるものにするかは、立法政策に委ねられているところと解される。この点につき、昭和三八年法律第九九号によつて改正された地方自治法二三八条の四は、行政財産はその用途または目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる旨規定したのであるが、同法施行前においては、右改正前の地方自治法二一三条一項が公有財産の管理、処分等については条例の定めに委ねていたところ、本件については、昭和二三年一月一三日東京都条例第三号東京都都有財産条例三条および同条例全部を改正した昭和二九年三月三一日東京都条例第一七号東京都都有財産条例一二条において前記改正後の地方自治法二三八条の四と同旨の定めがされ、さらに古くは昭和一九年三月九日東京都規則第四号東京都都有財産規則三条において同旨の定めがされていたのである(なお、国有財産法一八条参照)。したがつて、本件のような都有行政財産たる土地につき使用許可によつて与えられた使用権は、それが期間の定めのない場合であれば、当該行政財産本来の用途または目的上の必要を生じたときはその時点において原則として消滅すべきものであり、また、権利自体に右のような制約が内在しているものとして付与されているものとみるのが相当である。すなわち、当該行政財産に右の必要を生じたときに右使用権が消滅することを余儀なくされるのは、ひつきよう使用権自体に内在する前記のような制約に由来するものということができるから、右使用権者は、行政財産に右の必要を生じたときは、原則として、地方公共団体に対しもはや当該使用権を保有する実質的理由を失うに至るのであつて、その例外は、使用権者が使用許可を受けるに当たりその対価の支払をしているが当該行政財産の使用収益により右対価を償却するに足りないと認められる期間内に当該行政財産に右の必要を生じたとか、使用許可に際し別段の定めがされている等により、行政財産についての右の必要にかかわらず使用権者がなお当該使用権を保有する実質的理由を有すると認めるに足りる特別の事情が存する場合に限られるというべきである。
 それゆえ、被上告人は、むしろ、上告人に対し、本件行政財産についての右の必要のもとにされたと認めうる本件取消によつて使用権が消滅することを受忍すべき立場にあると解されるから、被上告人が本件取消により土地使用権の喪失という積極的損失を受け、この損失につき補償を必要とするとした原判決の判断は、さらに首肯しうべき事情のないかぎり、これを是認することができないのである。



判例は、行政財産の目的外使用は公法上の法律関係であり、その使用許可は使用権の設権行為であり、いわゆる「特許」のようなものと解しています。



使用権の設権行為のように、受益的行政行為の撤回には法律の根拠を必要とするのかも問題となります。
不要説、原則必要説等様々な見解があります。



(最判昭63・6・17)

被上告人医師会が昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定をしたのちに、上告人が法秩序遵守等の面において指定医師としての適格性を欠くことが明らかとなり、上告人に対する指定を存続させることが公益に適合しない状態が生じたというべきところ、実子あっせん行為のもつ右のような法的問題点、指定医師の指定の性質等に照らすと、指定医師の指定の撤回によって上告人の被る不利益を考慮しても、なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認められるから、法令上その撤回について直接明文の規定がなくとも、指定医師の指定の権限を付与されている被上告人医師会は、その権限において上告人に対する右指定を撤回することができるというべきである。



被処分者にとって不利益な行政行為の撤回はもちろんできます。



行政財産の使用許可の撤回とその損失補償の範囲についても判例があります。
上記のものとかぶりますが。



(最判昭49・2・5)

本件取消を理由とする損失補償に関する法律および都条例についてみるに、本件取消がされた当時(昭和三二年六月二九日)の地方自治法および都条例にはこれに関する規定を見出すことができない。しかし、当時の国有財産法は、すでに、普通財産を貸し付けた場合における貸付期間中の契約解除による損失補償の規定をもうけ(同法二四条、これを行政財産に準用していた(同法一九条)ところ、国有であれ都有であれ、行政財産に差等はなく、公平の原則からしても国有財産法の右規定は都有行政財産の使用許可の場合にこれを類推適用すべきものと解するのが相当であつて、これは憲法二九条三項の趣旨にも合致するところである。そして、また、右規定は、貸付期間中の解除に関するものであるが、期間の定めのない場合であつても使用許可の目的、内容ないし条件に照らし一応の使用予定期間を認めうるときは、これを期間の定めのある場合と別異に扱う理由がないから、この場合にも前記規定の類推適用が肯定されてしかるべきである。もつとも、昭和三八年法律第九九号によつて改正された地方自治法二三八条の四および五は普通財産について補償の規定をもうけているだけで、行政財産についてこれをもうけていないが、そのことは、いまだ前記類推適用を否定する根拠にはならないと解される。そして、原判決の前記判示によれば、本件使用許可は期間を定めないものではあるが建物所有を目的とするというのであるから、前叙のところに従い右類推適用が肯定されるべきである。したがつて、本件損失補償については、これを直接憲法二九条三項にもとづいて論ずるまでもないのである。
 そこで、この見地から、被上告人の本件損失補償請求を一部認容した原判決を是認することができるかどうかについてみるに、前記国有財産法二四条二項は「これに因つて生じた損失」につき補償すべきことを定めているが、使用許可の取消に際して使用権者に損失が生じても、使用権者においてその損失を受忍すべきときは、右の損失は同条のいう補償を必要とする損失には当たらないと解すべきところ、原判決の前記判示によれば、被上告人は、上告人から上告人所有の行政財産たる土地につき使用期間を定めないで使用の許可を受けていたが、当該行政財産本来の用途または目的上の必要が生じて右使用許可が取り消されたものということができる。このような公有行政財産たる土地は、その所有者たる地方公共団体の行政活動の物的基礎であるから、その性質上行政財産本来の用途または目的のために利用されるべきものであつて、これにつき私人の利用を許す場合にその利用上の法律関係をいかなるものにするかは、立法政策に委ねられているところと解される。この点につき、昭和三八年法律第九九号によつて改正された地方自治法二三八条の四は、行政財産はその用途または目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる旨規定したのであるが、同法施行前においては、右改正前の地方自治法二一三条一項が公有財産の管理、処分等については条例の定めに委ねていたところ、本件については、昭和二三年一月一三日東京都条例第三号東京都都有財産条例三条および同条例全部を改正した昭和二九年三月三一日東京都条例第一七号東京都都有財産条例一二条において前記改正後の地方自治法二三八条の四と同旨の定めがされ、さらに古くは昭和一九年三月九日東京都規則第四号東京都都有財産規則三条において同旨の定めがされていたのである(なお、国有財産法一八条参照)。したがつて、本件のような都有行政財産たる土地につき使用許可によつて与えられた使用権は、それが期間の定めのない場合であれば、当該行政財産本来の用途または目的上の必要を生じたときはその時点において原則として消滅すべきものであり、また、権利自体に右のような制約が内在しているものとして付与されているものとみるのが相当である。すなわち、当該行政財産に右の必要を生じたときに右使用権が消滅することを余儀なくされるのは、ひつきよう使用権自体に内在する前記のような制約に由来するものということができるから、右使用権者は、行政財産に右の必要を生じたときは、原則として、地方公共団体に対しもはや当該使用権を保有する実質的理由を失うに至るのであつて、その例外は、使用権者が使用許可を受けるに当たりその対価の支払いをしているが当該行政財産の使用収益により右対価を償却するに足りないと認められる期間内に当該行政財産に右の必要を生じたとか、使用許可に際し別段の定めがされている等により、行政財産についての右の必要にかかわらず使用権者がなお当該使用権を保有する実質的理由を有すると認めるに足りる特別の事情が存する場合に限られるというべきである。



うまくカットできず、全文掲載状態です。重要部分の色付けする元気がありません(´・ω・)
内在的制約というやつです。使用権についてまでの補償はされないようです。

続・国家賠償について調べてみました。


国家賠償法1条
1項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2項 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。



代位責任説の場合、行為の主体たる公務員に故意・過失がなければ、国歌賠償責任は成立しません。
故意については問題ありませんが、過失については、公務員個人の内心に立ち入るのでは、公務員がどこの誰かを確定する必要があり、また、普段から不注意な公務員に対し、責任が問えなくなるおそれがあり、妥当ではないとされています。



判例では、抽象的過失を基準として、過失の有無を判断しています。公務員を特定する必要もありません。
いわゆる「過失の客観化」といわれ、通常尽くすべきである客観化された注意義務違反を過失認定の基準としています。



(最判昭57・4・1)

国又は公共団体の公務員による一連の職務上の行為の過程において他人に被害を生ぜしめた場合において、それが具体的にどの公務員のどのような違法行為によるものであるかを特定することができなくても、右の一連の行為のうちのいずれかに行為者の故意又は過失による違法行為があつたのでなければ右の被害が生ずることはなかつたであろうと認められ、かつ、それがどの行為であるにせよこれによる被害につき行為者の属する国又は公共団体が法律上賠償の責任を負うべき関係が存在するときは、国又は公共団体は、加害行為不特定の故をもつて国家賠償法又は民法上の損害賠償責任を免れることができないと解するのが相当であり、原審の見解は、右と趣旨を同じくする限りにおいて不当とはいえない。しかしながら、この法理が肯定されるのは、それらの一連の行為を組成する各行為のいずれもが国又は同一の公共団体の公務員の職務上の行為にあたる場合に限られ、一部にこれに該当しない行為が含まれている場合には、もとより右の法理は妥当しないのである。



(最判昭58・2・18)

本件事故は、体育館の使用をめぐる生徒間の紛争に起因するものであるところ、本件事故につきバレーボール部顧問の教諭が代わりの監督者を配置せずに体育館を不在にしていたことが同数諭の過失であるとするためには、本件のトランポリンの使用をめぐる喧嘩が同教諭にとつて予見可能であつたことを必要とするものというべきであり、もしこれが予見可能でなかつたとすれば、本件事故の過失責任を問うことはできないといわなければならない。そして、右予見可能性を肯定するためには、従来からの金武中学校における課外クラブ活動中の体育館の使用方法とその範囲、トランポリンの管理等につき生徒に対して実施されていた指導の内容並びに体育館の使用方法等についての過去における生徒間の対立、紛争の有無及び生徒間において右対立、紛争の生じた場合に暴力に訴えることがないように教育、指導がされていたか杏か等を更に綜合検討して判断しなければならないものというべきである。しかるに原審は、これらの点について審理を尽くすことなく、単に、前記2、(1)・(2)のような説示をしたのみで同教諭の過失を肯定しているのであつて、原審の右判断は、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法を犯したものというべきであり、その違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。



(最判昭59・3・23)

ところで、警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもつてその責務とするものであるから(警察法二条参照)、警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞れのある天災、事変、危険物の爆発等危険な事態があつて特に急を要する場合においては、その危険物の管理者その他の関係者に対し、危険防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができるものとされている(警察官職務執行法四条一項参照)。もとより、これは、警察の前記のような責務を達成するために警察官に与えられた権限であると解されるが、島民が居住している地区からさほど遠からず、かつ、海水浴場として一般公衆に利用されている海浜やその付近の海底に砲弾類が投棄されたまま放置され、その海底にある砲弾類が毎年のように海浜に打ち上げられ、島民等が砲弾類の危険性についての知識の欠如から不用意に取り扱うことによつてこれが爆発して人身事故等の発生する危険があり、しかも、このような危険は毎年のように海浜に打ち上げられることにより継続して存在し、島民等は絶えずかかる危険に曝されているが、島民等としてはこの危険を通常の手段では除去することができないため、これを放置するときは、島民等の生命、身体の安全が確保されないことが相当の蓋然性をもつて予測されうる状況のもとにおいて、かかる状況を警察官が容易に知りうる場合には、警察官において右権限を適切に
行使し、自ら又はこれを処分する権限・能力を有する機関に要請するなどして積極的に砲弾類を回収するなどの措置を講じ、もつて砲弾類の爆発による人身事故等の発生を未然に防止することは、その職務上の義務でもあると解するのが相当である。
 してみれば、原審の確定した前記一の事実関係のもとでは、新島警察署の警察官を含む警視庁の警察官は、遅くとも昭和四一、二年ころ以降は、単に島民等に対して砲弾類の危険性についての警告や砲弾類を発見した場合における届出の催告等の措置をとるだけでは足りず、更に進んで自ら又は他の機関に依頼して砲弾類を積極的に回収するなどの措置を講ずべき職務上の義務があつたものと解するのが相当であつて、前記警察官が、かかる措置をとらなかつたことは、その職務上の義務に違背し、違法であるといわなければならない。



公務員個人に故意または重過失があった場合は、国または公共団体はその公務員に求償権を有します(国家賠償法1条2項)。

しかし、被害者は公務員個人に対する損害賠償請求はできないとされています。



(最判昭30・4・19)
上告人等の損害賠償等を請求する訴について考えてみるに、右請求は、被上告人等の職務行為を理由とする国家賠償の請求と解すベきであるから、国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、公務員が行政機関としての地位において賠償の責任を負うものではなく、また公務員個人もその責任を負うものではない。



賠償金といえば、いまもC型肝炎の訴訟で、原告の方と国との和解案がうまくいってないようですね。
変なことに税金使うより、そういった方々への賠償金にこそ、血税を使ってほしいものです。

国家賠償について調べてみました。


国家賠償は国・公共団体の違法行為により国民が損害を受けたときに問題となります。損失補償が国・公共団体の適法行為によって損害を受けた場合に問題となるのと異なります。



憲法17条
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。



国家賠償法1条
1項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2項 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。



この国・公共団体の責任の性質については、代位責任説と自己責任説の2説があります。
代位責任説は、公務員個人の責任を国・公共団体が代わって負うものだとするもので、自己責任説は、国・公共団体の行為に伴う濫用の危険を、国・公共団体自らが負うものとする説です。

通説・判例は、代位責任説を採用しています。


「公権力の行使」の意義については広義説をとるのが判例・通説です。
http://d.hatena.ne.jp/ayaayako/searchdiary?word=%2a%5b%b9%d4%c0%af%cb%a1%5d


判例では、教育活動、行政指導、医療行為等が、「公権力の行為」に当たるとされています。



(最判平5・2・18)

右のような指導要綱の文言及び運用の実態からすると、本件当時、被上告人は、事業主に対し、法が認めておらずしかもそれが実施された場合にはマンション建築の目的の達成が事実上不可能となる水道の給水契約の締結の拒否等の制裁措置を背景として、指導要綱を遵守させようとしていたというべきである。被上告人がAに対し指導要綱に基づいて教育施設負担金の納付を求めた行為も、被上告人の担当者が教育施設負担金の減免等の懇請に対し前例がないとして拒絶した態度とあいまって、Aに対し、指導要綱所定の教育施設負担金を納付しなければ、水道の給水契約の締結及び下水道の使用を拒絶されると考えさせるに十分なものであって、マンションを建築しようとする以上右行政指導に従うことを余儀なくさせるものであり、Aに教育施設負担金の納付を事実上強制しようとしたものということができる。指導要綱に基づく行政指導が、武蔵野市民の生活環境をいわゆる乱開発から守ることを目的とするものであり、多くの武蔵野市民の支持を受けていたことなどを考慮しても、右行為は、本来任意に寄付金の納付を求めるべき行政指導の限度を超えるものであり、違法な公権力の行使であるといわざるを得ない。



公権力の不行使の場合も、「公権力の行使」にあたります。



(最判平16・4・27)

国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である。



「公権力」には、行政権のほか、立法権司法権ももちろん含まれます。

国会の立法行為等にも、国家賠償法1条が適用されることがあるのはご承知の通りです。




(最大判平17・9・14)

国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである。したがって,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。しかしながら,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである。



(最判昭57・3・12)

裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。



「公務員」についても、国家公務員、地方公務員に限らず、民間人であっても、権力的な行政権限を委ねられた者は、これにあたるとされています。


また、「その職務を行うについて」行われた行為であるかどうかは、外観主義が採られています。



(最判昭31・11・30)

国家賠償法第一条の職務執行とは、その公務員が、その所為に出づる意図目的はともあれ、行為の外形において、職務執行と認め得べきものをもつて、この場合の職務執行なりとするのほかないのであるとし、即ち、同条の適用を見るがためには、公務員が、主観的に権限行使の意思をもつてした職務執行につき、違法に他人に損害を加えた場合に限るとの解釈を排斥し、本件において、A巡査がもつぱら自己の利をはかる目的で警察官の職務執行をよそおい、被害者に対し不審尋問の上、犯罪の証拠物名義でその所持品を預り、しかも連行の途中、これを不法に領得するため所持の拳銃で、同人を射殺して、その目的をとげた、判示のごとき職権濫用の所為をもつて、同条にいわゆる職務執行について違法に他人に損害を加えたときに該当するものと解したのであるが同条に関する右の解釈は正当であるといわなければならない。けだし、同条は公務員が主観的に権限行使の意思をもつてする場合にかぎらず自己の利をはかる意図をもつてする場合でも、客観的に職務執行の外形をそなえる行為をしてこれによつて、他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体に損害賠償の責を負わしめて、ひろく国民の権益を擁護することをもつて、その立法の趣旨とするものと解すべきであるからである。



まだまだ論点があるのですが、今日はここまでで。おやすみなさい(∩´∀`∩)

損失補償について調べてみました。

公共事業などの適法な行政行為のために財産上の損失が生じた場合、国がこの損失を補償することが必要になることがあります。国民には財産権が保障されているからです。



憲法29条
1項 財産権は、これを侵してはならない。
2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。



この3項を直接根拠にして損失補償請求をする余地があることは最高裁も示しています。
同条による直接請求が可能なので、補償規定を欠く法律も、ただちに違憲無効とはなりません。



(最大判昭43・11・27)

損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、単に一般的な場合について、当然に受忍すべきものとされる制限を定めた同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない。




しかし、財産権侵害がされたからと言って、常に損失補償が認められるわけではありません。

財産権の侵害が特定個人に対するものであり、かつ、財産権の侵害が、社会通念上の受忍限度を超える「特別の犠牲」がある場合に損失補償が認められます。

たとえば、公共の安全・秩序の維持といった消極目的規制のための財産権侵害は、財産権の内在的制約として保障は不要とされています。



(最判昭38・6・26)

財産権の内容ないしその行使は、前述のごとき政策的考慮に基づく法律の規定により制限される場合があこほか、権利そのものに内在すろ制限に服するものであることを忘れてはならない。すなわち、憲法上、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民において、これを濫用してはならず、国民は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負い(一二条)、国民の権利が立法その他の国政上で最大の尊重を必要とされているのも、公共の福祉に反しないかぎりにおいてであり(一三条)、また、民法上も、私権は公共の福祉遵うものであり、権利の行使は信義に従い誠実にこれを為すことを要し、権利の濫用は許されないものとされていろ(一条)のであるから、財産権もまた、政策的考慮に基づく諸法律の規定による制約に服するほか、権利そのものに内在する右のごとき制約に服しなければならないのである。したがつて、右制約の範囲内においては、法律をもつて、形式上は財産権の内容ないしその行使と認められる行為に対しを各種の規制を行うことができるのはもちろん、同様の規制は、地方公共の秩序を維持し、住民等の安全、健康及び福祉を保持する等のため、条例をもつてもこれを行ないうるのであり、かかる条例は、上述の範囲を逸脱しないかぎり、法律の範囲内に止まるものであり、法令に違反するものではないが、右範囲を逸脱するにおいては、単に法令に違反することとなるばかりでなく、憲法二九条二項ならびに九四条に違反する護を免れないのである。所論引用の各種条例も、この観点から、その合憲法が判断されるべきである。



29条3項の「正当な保障」の意義についても問題があります。
相当な額が支払われるとする、相当保障説、通常の客観的価値の全額が補償されるとされる完全保障説の2説があります。

通常の公共収容では、完全保障がされるとされています。



(最判昭48・10・18)

おもうに、土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によつて当該土地の所有者等が被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものであるから、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもつて補償する場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するものというべく、土地収用法七二条(昭和四二年法律第七四号による改正前のもの。以下同じ。)は右のような趣旨を明らかにした規定と解すべきである。そして、右の理は、土地が都市計画事業のために収用される場合であつても、何ら、異なるものではなく、この場合、被収用地については、街路計画等施設の計画決定がなされたときには建築基準法四四条二項に定める建築制限が、また、都市計画事業決定がなされたときには旧都市計画法一一条、同法施行令一一条、一二条等に定める建築制限が課せられているが、前記のような土地収用における損失補償の趣旨からすれば、被収用者に対し土地収用法七二条によつて補償すべき相当な価格とは、被収用地が、右のような建築制限を受けていないとすれば、裁決時において有するであろうと認められる価格をいうと解すべきである。なるほど、法律上右のような建築制限に基づく損失を補償する旨の明文の規定は設けられていないが、このことは、単に右の損失に対し独立に補償することを要しないことを意味するに止まるものと解すべきであり、損失補償規定の存在しないことから、右のような建築制限の存する土地の収用による損失を決定するにあたり、当該土地をかかる建築制限を受けた土地として評価算定すれば足りると解するのは、前記土地収用法の規定の立法趣旨に反し、被収用者に対し不当に低い額の補償を強いることになるのみならず、右土地の近傍にある土地の所有者に比しても著しく不平等な結果を招くことになり、到底許されないものというべきである。



戦後の農地改革などでは、例外的に相当保障でよいとされています。



(最大判昭28・12・23)

まず憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とする。けだし財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定められるのを本質とするから(憲法二九条二項)、公共の福祉を増進し又は維持するため必要ある場合は、財産権の使用収益又は処分の権利にある制限を受けることがあり、また財産権の価格についても特定の制限を受けることがあつて、その自由な取引による価格の成立を認められないこともあるからである。




明日で1個、短期のバイトが終わってしまいます。
明々後日で家庭教師のバイトも終わりです。
補償ください。無理か…(´・ω・)

無権代理と日常家事債務について調べてみました。

メリークリスマスイブです。




妻が夫に無断で、夫(名義)の土地を売却してしまったような場合に、夫がその契約の無効(無権代理)を主張しうるかが問題となるようなやつについてまとめてみました。

日常家事の意義、761条が、夫婦間相互に代理権を認めたものか、761条の代理権をもって110条の基本代理権としうるか等、いろいろ論点があります。



110条(権原外の行為の表見代理)
前条本文の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。


109条(代理権授与の表示による表見代理)
三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。


761条(日常の家事に関する債務の連帯責任)
夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。



判例は有名なのが1個。



(最判昭44・12・18)

民法七六一条は、「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによつて生じた債務について、連帯してその責に任ずる。」として、その明文上は、単に夫婦の日常の家事に関する法律行為の効果、とくにその責任のみについて規定しているにすぎないけれども、同条は、その実質においては、さらに、右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定しているものと解するのが相当である。
 そして、民法七六一条にいう日常の家事に関する法律行為とは、個々の夫婦がそれぞれの共同生活を営むうえにおいて通常必要な法律行為を指すものであるから、その具体的な範囲は、個々の夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等によつて異なり、また、その夫婦の共同生活の存する地域社会の慣習によつても異なるというべきであるが、他方、問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決するにあたつては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも充分に考慮して判断すべきである。
 しかしながら、その反面、夫婦の一方が右のような日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法一一〇条所定の表見代理の成立を肯定することは、夫婦の財産的独立をそこなうおそれがあつて、相当でないから、夫婦の一方が他の一方に対しその他の何らかの代理権を授与していない以上、当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法一一〇条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りるものと解するのが相当である。」



夫婦の片方の法律行為についてすべて表見代理を認めてしまうことは、夫婦別産制に抵触することに配慮がされています(判例3段落目)。


762条(夫婦間における財産の帰属)
1項 夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
2項 夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その共有に属するものと推定する。


実際、ロー入試で問題になりました。
論点が全部書けた気がしません。

親権者の利益相反行為について調べてみました。

自分の子ども(名義)の土地を、その子の親御さんが勝手に売却してしまったり、抵当権を設定してしまったりした場合に、(成人した)子どもが、(抵当権)登記の抹消請求をしうるか等が問題となります。


824条(財産の管理及び代表)
親権を行う者は、子の財産を管理し、かつ、その財産に関する法律行為についてその子を代表する。ただし、その子の行為を目的とする債務を生ずべき場合には、本人の同意を得なければならない。


826条(利益相反行為)
1項 親権を行う父又は母とその子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。
2項 親権を行う者が数人の子に対して親権を行う場合において、その一人と他の子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その一方のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。



有名な判例があります。



(最判昭48・4・24)

親権者が共同相続人である数人の子を代理して遺産分割の協議をすることは、親権者の意図やその行為の現実の結果のいかんにかかわらず、本条二項の利益相反行為にあたる。



(最判平4・12・10)

「親権者は、原則として、子の財産上の地位に変動を及ぼす一切の法律行為につき子を代理する権限を有する(民法八二四条)ところ、親権者が右権限を濫用して法律行為をした場合において、その行為の相手方が右濫用の事実を知り又は知り得べかりしときは、民法九三条ただし書の規定を類推適用して、その行為の効果は子には及ばないと解するのが相当である」
「親権者が子を代理して子の所有する不動産を第三者の債務の担保に供する行為は、利益相反行為に当たらないものであるから、それが子の利益を無視して自己又は第三者の利益を図ることのみを目的としてされるなど、親権者に子を代理する権限を授与した法の趣旨に著しく反すると認められる特段の事情が存しない限り、親権者による代理権の濫用に当たると解することはできないものというべきである。したがって、親権者が子を代理して子の所有する不動産を第三者の債務の担保に供する行為について、それが子自身に経済的利益をもたらすものでないことから直ちに第三者の利益のみを図るものとして親権者による代理権の濫用に当たると解するのは相当でない。」



判例は93条の但書で対処しているようです。



93条(心裡留保)
意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。



他にも意外と826条に関する判例は多いです。要旨だけですが。



(大判大9・1・21)
未成年者が受贈者として贈与契約をするのは、贈与者が親権者であっても、特別代理人を必要としない。


最判昭35・2・25
親権者たる父母の一方に本条一項にいう利益相反関係があるときは、利益相反関係のない親権者と同項の特別代理人とが共同して子のための代理行為をなすべきである。


最判昭43・10・8)
親権者が第三者の金銭債務につき、自ら連帯保証をするとともに、同一債務につき子を代理して連帯保証をし、かつ、親権者と子の共有する不動産に抵当権を設定する行為は、本条にいわゆる利益相反行為にあたる。


最判昭52・11・8)
株式が未成年の子とその親権者を含む数人の共有に属する場合において、親権者が未成年の子を代理して商法二〇三条二項にいう株主の権利を行使すべき者を指定する行為は、これを親権者自身と指定するときであっても、利益相反行為にあたらない。


最判昭57・11・26)
家裁選任の特別代理人もまた子が担保提供をしたのと同一の債務につき連帯保証人となっていた場合、子と利益が相反することは行為自体から当然予想されるものであり、その特別代理人は選任審判により付与された権限を行使することができない。





あと、代理権の濫用は、夫婦間でも問題です。
できたら明日書いてみます。

学習指導要領について調べてみました。


ここのところの教育シリーズ?も、これで一段落です。
憲法でも行政法でも重要です。



(最判昭51・5・21)「旭川学テ事件」

「文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。」



(最判平2・1・18)「伝習館高校事件」

「高等学校学習指導要領は法規としての性質を有するとした原審の判断は、正当として是認することができ、右学習指導要領の性質をそのように解することが憲法23条、26条に違反するものでないことは、最高裁昭和51年5月21日大法廷判決の趣旨とするところであり、原判決に違法はない。」



最近では、学習指導要領の、国旗・国歌に関する部分が問題になった判例もあります。
学習指導要領の法的拘束力についても言及しています。
長いです。



(東京地判平18・9・21)

「(3) 学習指導要領の国旗・国歌条項に基づく義務について
ア まず最初に,原告ら教職員が,学習指導要領の国旗・国歌条項に基づき,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務を負っているか否かについて検討する。この点に関し,教育基本法10条1項が「教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定し,同条2項が「教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。」と規定していることとの関係で,学習指導要領の国旗・国歌条項が法的効力を有しているのか否かが問題となる。
イ 学習指導要領の法的効力について国は,憲法上,適切な教育政策を樹立,実施する権能を有し,国会は,国の立法機関として,教育の内容及び方法について,法律により,直接又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有している。のみならず,国は,子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のため,必要かつ合理的な規制を施すことが要請される場合もあり得るのであって,国会が教育基本法10条においてこのような権限の行使を自己限定したものと解することは困難である。むしろ,教育基本法10条は,国の教育統制権能を前提としつつ,教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き,その整備確立のための措置を講ずるに当たり,教育の自主性尊重の見地から,これに対する不当な支配とならないようにすべきとの限定を付したものと解するのが相当である。したがって,教育に対する行政権力の不当,不要の介入は排除されるべきであるとしても,許容される目的のために必要かつ合理的と認められる措置は,たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても,教育基本法10条に反しないものと解するのが相当である。そして,文部科学大臣は,前記争いのない事実等(2)イのとおり,学校教育法43条,73条に基づき,高等学校及び盲学校,ろう学校及び養護学校高等部の教科に関する事項を定める権限を有しており,上記高等学校等における教育内容及び方法について,それぞれ教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準として,学校教育法施行規則57条の2,73条の10に基づき,学習指導要領を定めている。したがって,このような目的のもとに定められた学習指導要領は,原則として法規としての性質を有するものと解するのが相当である。もっとも,国の教育行政機関が,法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,上記のとおり教育の自主性尊重の見地のほか,教育に関する地方自治の原則をも考慮すると,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止めるべきものと解するのが相当である。そうだとすると,学習指導要領の個別の条項が,上記大綱的基準を逸脱し,内容的にも教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制するようなものである場合には,教育基本法10条1項所定の不当な支配に該当するものとして,法規としての性質を否定するのが相当である。(最大判昭和51年5月21日刑集30巻5号615頁,最一判平成2年1月18日集民159号1頁参照)
ウ これを学習指導要領の国旗・国歌条項についてみてみると,同条項は,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,生徒に国旗,国歌に対する正しい認識を持たせ,それらを尊重する態度を育てることが重要なことであること,入学式,卒業式等は,学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活への動機付けを行い,集団への所属感を深めるうえでよい機会となることから,このような入学式,卒業式等の意義を踏まえたうえで,これらの式典において,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するとの趣旨で設けられた規定と解される(甲276,乙18参照)。このような学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨に照らすと,国旗,国歌に関する定めは,その性質上,全国的になされることが望ましいものといえ,教育における機会均等の確保と全国的な一定の教育水準の維持という目的のために,国旗・国歌条項を学習指導要領の一部として規定する必要性はあるというべきである。そうだとすると,学習指導要領の国旗・国歌条項が,教育の自主性尊重,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を逸脱するものでなく,内容的にも一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むことを教職員に強制するものでない限り,法的効力を有すると解するのが相当である。
エ そこで,学習指導要領の国旗・国歌条項をみてみるに,同条項は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定するのみであって,それ以上に国旗,国歌についてどのような教育をするかについてまでは定めてはいない。また,学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚・国歌斉唱の具体的方法等について指示するものではなく,入学式,卒業式のほかにどのような行事に国旗掲揚・国歌斉唱を行うかについて,各学校に指示するものでもなく,国旗掲揚・国歌斉唱を実施する行事の選択,国旗掲揚,国歌斉唱の実施方法等については,各学校の判断に委ねており,その内容が一義的なものになっているということはできない。さらに,学習指導要領の国旗・国歌条項は,教職員が生徒に対して日の丸,君が代を巡る歴史的事実等を教えることを禁止するものではなく,教職員に対し,国旗,国歌について一方的な一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものとはいえない。
オ 以上によれば,学習指導要領の国旗・国歌条項は,前記イの学習指導要領全般の法的効力に関する基準に照らしても,法的効力を有すると解するのが相当である。もっとも,学習指導要領の国旗・国歌条項の法的効力は,前記ウのとおり,その内容が教育の自主性尊重,教育における機会均等の確保と全国的な一定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を定めるものであり,かつ,教職員に対し一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むことを強制しないとの解釈の下で認められるものである。したがって,学習指導要領の国旗・国歌条項が,このような解釈を超えて,教職員に対し,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務を負わせているものであると解することは困難である。
カ 小括
以上の検討結果によれば,学習指導要領の国旗・国歌条項は,法的効力を有しているが,同条項から,原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務までを導き出すことは困難であるというべきである。」





色付けしたのは、個人的に重要かなと思ったところです。
大学に入ると始業式とか終業式とかないから、たしかに節目とか意識しにくいですね。