教師の教育の自由について調べてみました。

憲法上、教育の自由を保障する明文の規定はありません。
しかし、23条や26条を根拠として、憲法上保障された人権であると考えられています。


憲法23条
学問の自由は、これを保障する。

憲法26条
1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。



教育の自由に関する判例も有名なものがたくさんあります。



(東京地裁昭45・7・17)「第二次家永訴訟第一審判決」

下級教育機関において教育を受ける児童、生徒は、いずれも年少であって、大学における学生のように高度の理解能力を有せず、また教えられたところを批判的に摂取する力もないから、これらの児童、生徒に対して、学問研究の結果をそのままに与えることは妥当でなく、したがって、教育は児童、生徒の心身の発達段階に応じ、児童が真に教えられたところを理解し、自らの人間性を開発していくことができるような形でなされなければならず、また、子どもが事物を批判的に考察し、全体として正しい知識を得、真実に近づくような方法でなされなければならないわけであるが、いわゆる教育的配慮は右の点を内容とするものでなければならない。そして、このような教育的配慮が正しくなされるためには、児童、生徒の心身の発達、心理、社会環境との関連等について科学的な知識が不可欠であり、教育学はまさにこのような科学である。すなわち、こうした教育的配慮をなすこと自体が一の学問的実践であり、学問と教育とは本質的に不可分一体というべきである。してみれば、憲法23条は、教師に対し、学問研究の自由はもちろんのこと学問研究の結果自らの正当とする学問的見解を教授する自由をも保障していると解するのが相当である。



(東京地裁昭49・7・16)「第一次家永訴訟第一審判決」

教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するが、必ずしもこれに含まれるものではない(最判昭38・5・22「ポポロ事件判決」)ので、23条の学問の自由は、初等中等教育機関の教育の自由を含まない。



(最判昭51・5・21)「旭川学テ事件」

憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。




教育権の所在とかも重要です。
なにげにここらへんは重要ポイントが多いです。多すぎます。