役員等の責任について調べてみました。


以下の条文が有名です。


423条(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
1項:取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。


429条(役員等の第三者に対する損害賠償責任)
1項:役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。
2項:次の各号に掲げる者が、当該各号に定める行為をしたときも、前項と同様とする。ただし、その者が当該行為をすることについて注意を怠らなかったことを証明したときは、この限りでない。
一  取締役及び執行役 次に掲げる行為
イ 株式、新株予約権社債若しくは新株予約権社債を引き受ける者の募集をする際に通知しなければならない重要な事項についての虚偽の通知又は当該募集のための当該株式会社の事業その他の事項に関する説明に用いた資料についての虚偽の記載若しくは記録
ロ 計算書類及び事業報告並びにこれらの附属明細書並びに臨時計算書類に記載し、又は記録すべき重要な事項についての虚偽の記載又は記録
ハ 虚偽の登記
二  会計参与 計算書類及びその附属明細書、臨時計算書類並びに会計参与報告に記載し、又は記録すべき重要な事項についての虚偽の記載又は記録
三  監査役及び監査委員 監査報告に記載し、又は記録すべき重要な事項についての虚偽の記載又は記録
四  会計監査人 会計監査報告に記載し、又は記録すべき重要な事項についての虚偽の記載又は記録


847条(責任追及等の訴え)
1項:六箇月(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)前から引き続き株式を有する株主(第百八十九条第二項の定款の定めによりその権利を行使することができない単元未満株主を除く。)は、株式会社に対し、書面その他の法務省令で定める方法により、発起人、設立時取締役、設立時監査役、役員等(第四百二十三条第一項に規定する役員等をいう。以下この条において同じ。)若しくは清算人の責任を追及する訴え、第百二十条第三項の利益の返還を求める訴え又は第二百十二条第一項若しくは第二百八十五条第一項の規定による支払を求める訴え(以下この節において「責任追及等の訴え」という。)の提起を請求することができる。ただし、責任追及等の訴えが当該株主若しくは第三者の不正な利益を図り又は当該株式会社に損害を加えることを目的とする場合は、この限りでない。
2項:公開会社でない株式会社における前項の規定の適用については、同項中「六箇月(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)前から引き続き株式を有する株主」とあるのは、「株主」とする。
3項:株式会社が第一項の規定による請求の日から六十日以内に責任追及等の訴えを提起しないときは、当該請求をした株主は、株式会社のために、責任追及等の訴えを提起することができる。


まず、423条の規定は、具体的な法令・定款違反があった場合や善管注意義務に違反する場合に適用されます。
役員等は会社と委任・受任の関係にあるためです(会社法330条、民法644条)。


330条(株式会社と役員等との関係)
株式会社と役員及び会計監査人との関係は、委任に関する規定に従う。


民法644条(受任者の注意義務)
受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。


法令違反の「法令」には、会社法以外の規定も勿論含まれます。


(最判平12・7・7)

「取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定(以下、併せて「一般規定」という。)及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定が、本規定にいう「法令」に含まれることは明らかであるが、さらに、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定もこれに含まれるものと解するのが相当である。けだし、会社が法令を遵守すべきことは当然であるところ、取締役が、会社の業務執行を決定し、その執行に当たる立場にあるものであることからすれば、会社をして法令に違反させることのないようにするため、その職務遂行に際して会社を名あて人とする右の規定を遵守することもまた、取締役の会社に対する職務上の義務に属するというべきだからである。」
「取締役が右義務に違反し、会社をして右の規定に違反させることとなる行為をしたときには、取締役の右行為が一般規定の定める義務に違反することになるか否かを問うまでもなく、本規定にいう法令に違反する行為をしたときに該当することになるものと解すべきである。」


取締役の職務遂行上の判断の誤りや、不作為の場合の任務懈怠についても責任が問われます。
しかし、判断した当時を基準として、合理的な判断を行っていれば、たとえ損害が発生したとしても責任は問われません。アメリカの「経営判断の原則」の考えに似ています。


(福岡高裁昭55・10・8)

「ところで、およそ、商法第二五四条の二が定める取締役の忠実義務は、取締役が会社に対して負担する委任関係から生ずる善管義務(同法第二五四条第三項、民法第六四四条)を具体的注意的にふえんして規定したにすぎないものであつて、これとは異質の高度の注意義務或いは結果責任を課するものでないのはもとより、企業は本来自己の責任と危険においてその経営を維持しなければならないものであるから、親会社の取締役が新たな融資を与えることなくそのまま推移すれば倒産必至の経営不振に陥つた子会社に、危険ではあるが事業の好転を期待できるとして新たな融資を継続した場合において、たとえ会社再建が失敗に終りその結果融資を与えた大部分の債権を回収できなかつたとしても、右取締役の行為が親会社の利益を計るために出たものであり、かつ、融資の継続か打切りかを決断するに当り企業人としての合理的な選択の範囲を外れたものでない限り、これをもつて直ちに忠実義務に違反するものとはいえないと解すべきである。」


取締役の善管注意義務・忠実義務についての判例も多いです。
善管注意義務と忠実義務を同じものと考えるか否かについては、学説により異なりますが、判例は同じもののように見ているようです。


(最判昭45・6・24)「八幡製鉄所献金事件」

「商法二五四条ノ二の規定は、同法二五四条三項民法六四四条に定める善管義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであつて、所論のように、通常の委任関係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものとは解することができない。」
「取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するというべきであるが、原審の確定した事実に即して判断するとき、八幡製鉄株式会社の資本金その他所論の当時における純利益、株主配当金等の額を考慮にいれても、本件寄附が、右の合理的な範囲を越えたものとすることはできないのである。」


ちなみにこの判例は、憲法の超有名判例でもあります。


「ところで、会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存することはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当を程度のかかる出捐をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。
 以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。上告人のその余の論旨は、すべて独自の見解というほかなく、採用することができない。要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。」
憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によつてそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。論旨は、会社が政党に寄附をすることは国民の参政権の侵犯であるとするのであるが、政党への寄附は、事の性質上、国民個々の選挙権その他の参政権の行使そのものに直接影響を及ぼすものではないばかりでなく、政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはたまたま生ずる病理的現象に過ぎず、しかも、かかる非違行為を抑制するための制度は厳として存在するのであつて、いずれにしても政治資金の寄附が、選挙権の自由なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。会社が政治資金寄附の自由を有することは既に説示したとおりであり、それが国民の政治意思の形成に作用することがあつても、あながち異とするには足りないのである。所論は大企業による巨額の寄附は金権政治の弊を産むべく、また、もし有力株主が外国人であるときは外国による政治干渉となる危険もあり、さらに豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成するというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立法政策にまつべきことであつて、憲法上は、公共の福祉に反しないかぎり、会社といえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得ず、これをもつて国民の参政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない。」


監視義務の不作為についても、取締役等は責任を負いますが、そこでは、内部統制システムがきちんと確立されているか否かがポイントになります。


362条(取締役会の権限等)
4項:取締役会は、次に掲げる事項その他の重要な業務執行の決定を取締役に委任することができない。
六 取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備
5項:大会社である取締役会設置会社においては、取締役会は、前項第六号に掲げる事項を決定しなければならない。


348条(業務の執行)
2項:取締役が二人以上ある場合には、株式会社の業務は、定款に別段の定めがある場合を除き、取締役の過半数をもって決定する。
3項:前項の場合には、取締役は、次に掲げる事項についての決定を各取締役に委任することができない。
四 取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備
4項:大会社においては、取締役は、前項第四号に掲げる事項を決定しなければならない。


362条は取締役会設置会社、348条は取締役会非設置会社についての規定です。


責任の免除の規定について定めた条文も、424条以下にあります。









なかなか長くなりそうなので、今日はここまでで。

事業譲渡・事業譲受について調べてみました。


気づいたらページビュー1万超え(∩´∀`∩)100くらいは自分でカウントしているんだろうけど嬉しいです。
なんか間違ってアクセスしてしまった方、なんとなく見てくださった方、ありがとうございます。





事業譲渡は会社が事業の全部または一部を譲渡する行為です。実務上、会社の特定の事業部門を子会社の事業に移行させるためになされることが多いです。たとえば、同じ会社内で食料品部門と薬品部門と化粧品部門がある場合、化粧品部門だけを子会社に移行して、同一の法人形態で事業を継続しないようにしたりします。
事業譲渡については、会社法467条以下に手続きの規定がされています。


会社法467条(事業譲渡等の承認等)
1項:株式会社は、次に掲げる行為をする場合には、当該行為がその効力を生ずる日(以下この章において「効力発生日」という。)の前日までに、株主総会の決議によって、当該行為に係る契約の承認を受けなければならない。
一  事業の全部の譲渡
二  事業の重要な一部の譲渡(当該譲渡により譲り渡す資産の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えないものを除く。)
三  他の会社(外国会社その他の法人を含む。次条において同じ。)の事業の全部の譲受け
四  事業の全部の賃貸、事業の全部の経営の委任、他人と事業上の損益の全部を共通にする契約その他これらに準ずる契約の締結、変更又は解約
五  当該株式会社(第二十五条第一項各号に掲げる方法により設立したものに限る。以下この号において同じ。)の成立後二年以内におけるその成立前から存在する財産であってその事業のために継続して使用するものの取得。ただし、イに掲げる額のロに掲げる額に対する割合が五分の一(これを下回る割合を当該株式会社の定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えない場合を除く。
イ 当該財産の対価として交付する財産の帳簿価額の合計額
ロ 当該株式会社の純資産額として法務省令で定める方法により算定される額
2項:前項第三号に掲げる行為をする場合において、当該行為をする株式会社が譲り受ける資産に当該株式会社の株式が含まれるときは、取締役は、同項の株主総会において、当該株式に関する事項を説明しなければならない


手続きについては条文に規定がありますが、事業譲渡が何たるかについては明文に規定がありません。
解釈は判例や学説によって様々です。


まず判例の考え方から。ちなみに旧商法の245条がいまの467条です。


(最判昭40・9・22)

商法二四五条一項一号によつて特別決議を経ることを必要とする営業の譲渡とは、同法二四条以下にいう営業の譲渡と同一意義であつて、営業そのものの全部または重要な一部を譲渡すること、詳言すれば、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先関係等の経済的価値のある事実関係を含む。)の全部または重要な一部を譲渡し、これによつて、譲渡会社がその財産によつて営んでいた営業的活動の全部または重要な一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じ法律上当然に同法二五条に定める競業避止業務を負う結果を伴うものをいうものと解するのが相当である。


事業の承継や競業避止義務を伴うものに限らず、重要な事業用財産の譲渡であれば、「事業の全部の譲渡」、「事業の重要な一部の譲渡」にあたるとするものもあります。上の判例の少数説です。


有力説としては、事業の承継や競業避止義務を伴わなくてもよいけれども、有機的一体性のある組織的味さんの譲渡である必要があるとする説があります。
事業譲渡に製造や販売のノウハウが付随されているかがポイントです。


これらの説の違いは、株主の保護を優先するか、取引の安全や会社の経営を優先するかということからでてきます。


なお、事業譲渡には株主総会の特別決議が必要です。


会社法309条(株主総会の決議)
1項:株主総会の決議は、定款に別段の定めがある場合を除き、議決権を行使することができる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の過半数をもって行う。
2項:前項の規定にかかわらず、次に掲げる株主総会の決議は、当該株主総会において議決権を行使することができる株主の議決権の過半数(三分の一以上の割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の三分の二(これを上回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)以上に当たる多数をもって行わなければならない。この場合においては、当該決議の要件に加えて、一定の数以上の株主の賛成を要する旨その他の要件を定款で定めることを妨げない。
十一 第六章から第八章までの規定により株主総会の決議を要する場合における当該株主総会


事業譲渡は第7章です。
株主総会の承認を必要としない例外もあります。略式事業譲渡や簡易事業譲受等です。


総会決議を書いた事業譲渡は、無効となります。取引の安全を害するようにも思えますが、会社経営の根幹に影響を及ぼす取引なので、瑕疵も厳しくチェックする必要があります。
ですが、合併無効の訴えのような特別な訴えの制度がないので、決議後3ヶ月の時間制限があります。


会社法831条(株主総会等の決議の取消しの訴え)
1項:次の各号に掲げる場合には、株主等(当該各号の株主総会等が創立総会又は種類創立総会である場合にあっては、株主等、設立時株主、設立時取締役又は設立時監査役)は、株主総会等の決議の日から三箇月以内に、訴えをもって当該決議の取消しを請求することができる。当該決議の取消しにより取締役、監査役又は清算人(当該決議が株主総会又は種類株主総会の決議である場合にあっては第三百四十六条第一項(第四百七十九条第四項において準用する場合を含む。)の規定により取締役、監査役又は清算人としての権利義務を有する者を含み、当該決議が創立総会又は種類創立総会の決議である場合にあっては設立時取締役又は設立時監査役を含む。)となる者も、同様とする。
一  株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令若しくは定款に違反し、又は著しく不公正なとき。
二  株主総会等の決議の内容が定款に違反するとき。
三  株主総会等の決議について特別の利害関係を有する者が議決権を行使したことによって、著しく不当な決議がされたとき。
2項:前項の訴えの提起があった場合において、株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令又は定款に違反するときであっても、裁判所は、その違反する事実が重大でなく、かつ、決議に影響を及ぼさないものであると認めるときは、同項の規定による請求を棄却することができる。










眠い眠い(′∀`)zZ

受験についてやっておいてよかったことについてまとめてみました。

新カテゴリー追加です。毎日調べたりコピペしたりするのに飽きたので、ひとやすみです。


ロースクールというものがどういうものかもよくわからず、私が受験を決めたのは、大学入学と同時くらいでしょうか。
弁護士さんという職業に映画で憧れたのが中学生時代。憧れだけで法学部に入学。憧れだけでロー進学希望。
まだまだ夢をみさしてください、お父さん、お母さん。



前置きが長くなりましたが、ここから「やっておいてよかったこと」です。
他に、こんなことやっておいてよかったよ、ということがありましたら、教えてください。
順不同です。



1.しっかりとした証明写真を、しっかりとした写真屋さんで作っておく。(4〜7月)

私の地元の駅の次の駅に伊勢丹があるので、そこの写真室でとってもらいました。やはりプロです。姿勢がどんなに悪くても直してくれます。光の加減、洋服が乱れてないかは自分じゃ見られません。
何枚か写真をとってくれて、その中から1枚選びます。
時期的には夏前をおすすめします。夏にスーツは暑いし、汗かいてだらだらの顔を撮ることになってしまうからです。

お値段は6000円前後。焼き増しは1枚ごとに630円(2日後仕上がり。当日だと1260円。)

高いでしょ。でも、悪いことは言いません。1枚いいのがあると助かります。
安い自働証明写真の写真はどうも変な顔しかとれません。その写真を貼るのもいらいら。
1回600円で4枚出てくるけど、結局失くすか気に入らなくて捨てる。こうなることはよくあることです。
いざ写真が必要になった時に毎回スーツを着るのも面倒です(着なくてもいいのですが、気分的にスーツでしょう!?)。そしてまた不機嫌な写真が出来上がります。

いい写真で書く願書の方が気分的にもいいです。
たかが写真、されど写真。

何枚くらいロー入試関係で使ったかというと、

適性試験で2枚。
既修者試験で2枚。
ロースクールの願書、1校につき約3枚。3校受けたので9枚。
その後の入学手続で、各約3枚。いちおう2校分出したので、6枚。

結構使うんです。
焼き増しが簡単にできたので、こんなに使ってるとは自分で驚きです。

ちなみに、某全国チェーン店のカメラ屋さんの証明写真は1200円ほどで撮れましたが、撮るのはバイト、撮り方もただ店内で座らせて撮るだけ。出来は最悪でした。



2.適性試験の受験票は決まったところに閉まっておく。(5月下旬〜)

適性試験に使うのは当然ですが、各ロースクールの受験会場にも持っていく重要物件です。適性終了後に捨てないように気をつけてください。
入試当日に「どこいったけ??」とならないように、わかりやすいところにストックしておくといいと思います。



3.適性試験日弁連とセンターの両方受ける。(6月)

適性試験は2種類ありますが、誰でも相性はあると思います。
過去問をやっているとき、私は日弁連の方が自分にあってると思ってました。受験費節約のために日弁連だけにしようかとも思ったくらいです。
ところが本番、センターの方が10点近く高い点数(日弁連は300点満点、センターは100点満点ですが、日弁連のHPで比較できます)をとり、日弁連はたとえ既修者試験でもやばいだろという点数でした。
ケチらず2種類とも受けておいてよかったです。



4.説明会に行く。(5月ごろ〜)

ロースクールのHPを見ると、たいがい説明会をやっていてくれます。
ロースクールの見学、試験会場の下見にもなりますし、なにより願書がタダで手に入りました(1校だけ郵送請求(210円))。



5.ステメンのネタ、TOEICTOEFL(できれば1年生〜3年生)

法律の勉強に集中したいのに、願書を書いたり、英語の勉強をするのは本当に面倒です。
1年生〜3年生は法律の勉強より、英語やネタになる資格、法学検定等に力を注ぐのもいいかもしれません、ホントに。



6.センター適性試験日弁連、各ロースクールのHPをお気に入りに追加(今すぐ)

いろいろ調べるのに便利です。
2日に1回は情報チェック!!……はおおげさですが、ちょこちょこ見たほうがいいと思います。

参考程度にどうぞ。


日弁連トップページ
http://www.jlf.or.jp/index.php


日弁連法科大学院統一適性試験
http://www.jlf.or.jp/tekisei/index.shtml


法科大学院最新ガイド
http://campus.nikkei.co.jp/law/


大学入試センター法科大学院統一適性試験
http://www.dnc.ac.jp/houka/houka_index.htm










いま思いつくのはこれくらいです。
また思いついたら随時書き足します。

予備の中止について調べてみました。


きのうと同じで予備について。
予備とは、犯罪の実行に至らない準備行為のことです。


刑法43条(未遂減免)
犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。


このとき、43条但書は「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった」ことを前提とするので、予備の中止は、実効の着手前の行為なので、中止犯の規定を直接適用できないことになります。
そこで、予備罪にも中止犯の規定である43条但書が準用(類推適用)できないかが問題となります。
まず、判例は中止犯の準用を否定しているようです。


(最判昭29・1・20)

原判決挙示の証拠によれば、被告人が強盗をしようとして原審相被告人等と共に原判決第四摘示の強盗予備の行為をした事実は十分これを認めることができる。故に強盗の意思がなかつたとの主張は理由がなく、又予備罪には中止未遂の観念を容れる余地のないものであるから、被告人の所為は中止未遂であるとの主張も亦採ることを得ない。


学説では準用肯定説が有力です。
実行する場合より、まだ救える予備の段階で中止犯を準用できないのはおかしいと考えられるからです。
特に、強盗予備罪(237条)は、放火予備(113条)や殺人予備(201条)のように、任意の免除規定がないので不合理になります。


上の理由を見ると、まあ、なんとなく予備の中止は肯定してあげていいんじゃないかというふうになります。
認めるとすると、刑の減免の基準を、既遂犯の刑とするか、予備罪の刑とするかがまた問題となります。
ダブスクでは、既遂犯を基準とするかたちで習いました。予備罪の刑がすでに既遂犯の刑を減軽したものであるからです。


刑法68条(法律上の減軽の方法)
法律上刑を減軽すべき一個又は二個以上の事由があるときは、次の例による。
一  死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする。
二  無期の懲役又は禁錮減軽するときは、七年以上の有期の懲役又は禁錮とする。
三  有期の懲役又は禁錮減軽するときは、その長期及び短期の二分の一を減ずる。
四  罰金を減軽するときは、その多額及び寡額の二分の一を減ずる。
五  拘留を減軽するときは、その長期の二分の一を減ずる。
六  科料減軽するときは、その多額の二分の一を減ずる。


刑法72条(加重減軽の順序)
同時に刑を加重し、又は減軽するときは、次の順序による。
一  再犯加重
二  法律上の減軽
三  併合罪の加重
四  酌量減軽







68条の趣旨は、法定減軽は1回限りというものです。
このことから、中止犯の免除のみ準用する説も有力です。

予備の共同について調べてみました。


自分で勉強してて、何言ってんだかわからなかったテーマです(笑)
長いけど、判例読めばよかったです。


予備罪についての判例は、最決昭37・11・8の下級審(名古屋高裁)のものが参考になります。
事案は、「被告人は、昭和三五年三月上旬ごろ、従兄にあたるAから、同人がかねてから密通しているCとの関係を続けるため、同女の夫Bを殺害したいとの意図を打明けられたうえ、その殺害の方法等について相談をもちかけられていたが、当初は真剣こ右相談に乗る気持はなく、むしろ右Aの言動をからかいちよう弄しているうち、同人のB殺害の決意は固く、しかも、度び重ねてその殺害方法について相談をもちかけられるうち、これをあしらいかね、同年六月二五日ころに至り、Aから右B殺害の用に供するための青酸カリの入手方の以来を受けるや、同人にこれを手交すれば同人がこれを使用して右殺人の用に供することのあるべきを認識しながら、その青酸カリの入手方を承諾し被告人において知人Dから青酸ソーダを譲り受けたうえ、同月二七日ころの午後九時ころ愛知県西春日井郡a村大字b字cd番地のe村営住宅f号のA方こおいて、ビニールに包んだ青酸ソーダ杓三八瓦(証第三、第四号在中のものはその一部)をAに手交し、もつて右Aと共同してBに対する殺人予備の行為をした」というものです。



(名古屋高裁昭36・11・27)

「さて、教唆犯、従犯は、自ら犯罪を実行するものではなく、他人の犯罪に加功する犯罪の一形式である。自ら犯罪を実行する者を正犯というのに対して、この正犯たるべき者を教唆して犯罪を実行させた者が教唆犯、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者が従犯とされるわけである。そして、このような教唆犯、従犯が処罰されるのは、それらの行為が、いわゆる正犯の犯罪の実行行為に加功した点にあるのであつて、正犯の犯罪の実行行為が成立しない以上、教唆行為、幇助行為それだけを独立に処罰することはない。(いわゆる共犯の従属性)このように教唆犯、従犯は、抽象的にあるなんらかの犯罪の教唆、従犯とされるものではなく、正犯の特定の犯罪の実行を前提として、この正犯の犯罪の実行に対して、教唆犯、又は従犯といわれるわけである。刑法六一条、六二条は、このことを明文を以つて示している。教唆犯の場合は、当面の問題外におき、従犯に限つていえば、右六二条に「正犯ヲ幇助シタル者ハ従犯トス」とあるのは、論旨もいうように、正犯の犯罪の実行行為を幇助した者という意味であり、幇助行為それじたいとしては、正犯の犯罪の実行行
為前に行われようとも、これを処罰するためには、正犯が犯罪の実行行為に着手することを要件とするわけである。(正犯の犯罪実行中に幇助する場合は、この関係は明らかである。)そして、その正犯が犯罪の実行行為に着手するというのは、正犯が刑法各本条の規定する各犯罪のいわゆる構成要件的行為の実行に着手することをいうものであることも論旨の指摘するとおりであるから、従犯か処罰されるのは、正犯の行為が、少くとも、特に未遂罪として処罰される場合であることを要するということになる。然し、このことは、刑法が正犯の既遂を処罰するのを原則とし、その未遂が処罰されるのは、あくまで例外であつて、刑法各本条に、特別に、未遂罪を処罰する旨の規定がある場合に限るという構造をとつていることからひき出される結論である。従つて、刑法が、特殊例外的にある犯罪の予備罪を処罰している場合には、特に、その場合に限つて、予備罪の従犯が認められるかどうかについて、やはり特別に考えてみなければならない。すなわち、未遂罪が処罰されるのも、このように例外であるが、刑法は、ある種の犯罪の危険性、従つて、その可罰性の著しく高いことに着目して、これを未然に防遏しようとする特殊の考慮に基いて、この種の犯罪については、特に、実行の着手前の段階、すなわち、実行の着手前において、実行行為を準備する行為をとらえて、これを予備罪として独立に処罰することとしているのである。本件の殺人予備の如きがまさにそれである。そして、刑法各本条の規定している当該各犯罪は、正犯の既遂としてこれを類型的に刑法が規定しているので、これを講字上基本的構成要件というならば、予備罪は、これらの基本的構成要件を離れて独立に、その犯罪の類型が定められるものではなくある犯罪の基本的構成要件を前提として、そこから初めてその犯罪の予備罪の類型が定められるのであるから、それは、前記基本的構成要件に修正加工を加えたもので、いわゆる基本的構成要件の修正形式として観念されるわけである。そして、このようにある犯罪の予備罪が独立に処罰される場合には、その予備罪を構成する行為も当然に考えられるわけで、それは、その予備行為が発展した場合のいわゆる犯罪の実行行為を基本として、その内容を限定されるものではあるが、予備罪そのものについていえば、その予備罪というある犯罪の基本的構成要件を修正する構成要件を充足する行為がそこに予定されていることは当然である。いま構成要件を充足する行為を実行行為というのであれば、予備罪が独立して処罰される場合の、いわゆる修正された構成要件を充足する行為も又実行行為とよぶことが許されるのである。(この意味で実行行為の概念も関係的、機能的な概念である、といわれる。)そして、このように、予備罪の実行行為というものを観念することは、予備罪の正犯を考え、あるいは、その共同正犯を考える場合に、文理解釈のうえで起る障害を取りのけることに役立つであろう。すなわち、共同しである犯罪の予備をした者、すなわち、予備の実行行為を共同にした者は、予備罪の共同正犯であるが、予備罪の実行行為を観念できない、とすれば、文理上予備罪の共同正犯も又あり得ないという奇怪な結論に達する。(二人以上の者が共同して殺人を計画し、その用に供するための兇器を共同して入手して準備した場合の如きを考えよ。)従つて、刑法総則の規定の適用において予備罪の実行行為というが如きものは観念できないという論旨は採るを得ないもので、予備罪の従犯の成立を考えるについて、実行行為の概念を固定のものとして文理解釈に依拠することは許されない次第である。」
「このように予備罪の実行行為を観念できるとして、刑法六二条の従犯の成立要件としての正犯の実行行為というのは、右に述べた意味における正犯=予備罪の正犯=のいわゆる実行行為をも含むものであろうか。
 すなわち、刑法総則の従犯に関する規定は、予備罪が独立に処罰される場合のその予備罪についても適用されるのであろうか。同法六四条によれば教唆犯、従犯が処罰されないのは、拘留又は科料にのみ処すべき特別の犯罪の場合(但し、その場合でも教唆犯、従犯を処罰する特別の規定がある場合は除かれる)に限られるもののようにも解される。もし、そうだとすれば、予備罪=本件では殺人予備罪=の実行行為を考え、それが独立して処罰される限り、予備罪の従犯も又処罰されるということになり、文理解釈上の支障も生じないわけである。然し、仔細に検討してみると、この解釈には賛成することができない。思うに、犯罪の予備行為は、一般に基本的構成要件的結果を発生せしめる蓋然性は極めて少なく、従つて法益侵害の危険性も少ないわけであるから、通常可罰性はなく、特に、法益が国家的、社会的にすぐれて高いものと評価される特殊の犯罪に限つて、これが準備行為、すなわち、右の犯罪の実行を準備する行為までを、法益侵害の危険性が看過できないものとして、刑法は、例外的にこれを処罰の対象としているのである。本件の殺人の予備罪の如きもそうである。然し、犯罪の予備行為というものは、実行行為に着手する以前の、犯罪の準備行為を含めて、犯罪への発展段階にあるすべての行為を指称するものであり、基本的犯罪構成要件の場合の如く、特に、それが定型的行為として限定されていないところに特色がある。従つて、予備罪の実行行為は無定型、無限定な行為であり、その態様も複雑、雑多であるから、たとえ、国家的、社会的にその危険性が極めて高い犯罪であつても、その予備罪を処罰することになれば、その処罰の範囲が著しく拡張され、社会的には殆んど無視しても差支えない行為、延いては又言論活動の多くのものまでが予備罪として処罰される虞れもないわけではない。そこで、刑法はこのように処罰の範囲が徒らに拡張されることを警戒して、広般な予備行為の範囲を限定して、予備罪を構成すべき行為を限定的に列挙する場合もあり(例えば、刑法一五三条、なお特別法として爆発物取締罰則三条の如きもそうである。)、更に又予備罪については、情状に因りその刑を免除することにもし
ているわけである。ところで、従犯の行為も又同様無限定、無定型である。従つて、もし、予備罪の従犯(正犯が予備罪に終つた場合の従犯)をも処罰するものとすれば、その従犯として処罰される場合が、前の予備罪の正犯の場合にもまして著しく拡張される危険のあることは極めて明らかである。かの助言従犯の場合の如きを考えれば、言論活動の多くの場合までが、直ちに予備罪の従犯として処罰される危険性が、高度である。従つて、予備罪の従犯を処罰するかどうかについては、特に厳正な解釈態度が要求されるのである。しかも又、従犯の刑は正犯の刑に照して減軽されているわけであり(刑法六三条)、従犯の違法性、可罰性は、正犯のそれに比し軽減されているものであることも又否定できない。してみると、予備罪が特に明文の規定をまつて処罰される場合においても、その刑は、既遂、未遂のそれに比し極めて軽いのであるから(殺人予備罪の場合も二年以下の懲役であり、情状に因りその刑が免除される。刑法二〇一条」、これより違法性、可罰性の更に軽減されるその従犯までを処罰するについては、これを解釈に一任することなく、法の明文を以つて特に明確にすべきである。」
「予備を独立に処罰する旨の規定があるからといつて、それを理由として、予備の背後関係にあつて、予備罪の正犯に比べその違法性、可罰性のより減少したその従犯までを処罰しなければならない必要性、合理性は少しも正当化されるものではなく、予備罪の従犯を処罰するかどうかは、やはり刑法全体の精神から論定すべきことがらである。」
「わが刑法は、予備罪の従犯を処罰するのは、特に明文の規定がある場合にこれを制限し、その旨の明文の規定のない場合は、一般にこれを不処罰にしたものと解すべきである。すなわち、総則規定としての刑法六二条の規定は、予備罪が独立に処罰される場合においても、当然にその適用があるものではない、ということになるわけである。してみれば、殺人罪の予備罪の幇助行為について、特にこれを処罰する法律の規定はないのであるから、被告人の原判示所為を殺人予備罪の幇助(予備幇助罪)として処罰した原判決は、既にこの点において法律の解釈を誤つた違法があるものというべきである。」
「正犯と従犯とを区別するについても、いわゆる主観、客観の複合体としての行為の性質、すなわち、行為者の意思とその外部に表現された行為の形式の双方を併せて考察し、これを区別の基準とするのが相当である。そして、このことは、犯罪の実行の着手に至る以前のすべての行為、そして実行行為を準備する行為を処罰する予備罪の場合についても同様である。」


上の判例は、殺人予備罪の幇助行為は処罰されないこと、他人から殺人の用に供するための青酸カリの調達入手方の依頼を受け、これを入手して、その他人に手交した者は殺人予備罪の共同正犯であると判断しています。
予備行為にも実行行為性を認めたことがポイントです。


もっとも、この判例は予備の幇助を否定していますが、予備の幇助も観念することができますし、64条を反対解釈することで、予備罪の幇助犯の成立が認められると考えることもできます。


刑法64条(教唆及び幇助の処罰の制限)
拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。(→懲役刑の教唆・従犯は罰する。)








これと似たもので、予備の中止が成立するかどうかという問題もあります。
でも、眠たいので今日はここまでです。色づけする体力もない…。

続々・報道と名誉・プライバシーの関係について調べてみました。


死者への名誉毀損は刑法により定められています。


刑法230条(名誉毀損)
1項:公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2項:死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。


判例では間接的に死者の人格権を保護しようとするものがあります。


(東京高裁昭54・3・14)

1 死者に対する遺族の敬愛追慕の情は、一種の人格的法益として法の保護の対象となり、これを違法に侵害する行為は、不法行為を構成する。
2 死者の名誉を害するような事実について記述された部分のある著作物の出版により、同人を実父のように敬愛追慕していたその甥が精神的苦痛を被つたとしても、右出版が死後四四年余を経た時点でなされたときは、記述された事実が虚偽であり、かつその事実が重大で、時間的経過にもかかわらず、同人に対する敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害されたものでないかぎり、右出版行為に違法性はなく、慰籍料の請求は認められない。


責任を受けるのは、民法の715条で、使用者責任が問われ、記者個人の責任はあまり取られないようです。
情報提供者についても一定の場合、責任が追及されることがあります。


名誉毀損の成否をめぐっての判例は結構あります。
まず、娯楽・興味本位のメディアや記事は、読者も真実性を期待しておらず、社会的評価の低下もありえないとするものが下級審に見受けられます。
しかし、娯楽性は名誉毀損の成否には関係ないとする判例もあります。


(最判平9・5・27)

 新聞記事による名誉毀損にあっては、他人の社会的評価を低下させる内容の記事を掲載した新聞が発行され、当該記事の対象とされた者がその記事内容に従って評価を受ける危険性が生ずることによって、不法行為が成立するのであって、当該新聞の編集方針、その主な読者の構成及びこれらに基づく当該新聞の性質についての社会の一般的な評価は、右不法行為責任の成否を左右するものではないというべきである。けだし、ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり、たとい、当該新聞が主に興味本位の内容の記事を掲載することを編集の方針とし、読者層もその編集方針に対応するものであったとしても、当該新聞が報道媒体としての性格を有している以上は、その読者も当該新聞に掲載される記事がおしなべて根も葉もないものと認識しているものではなく、当該記事に幾分かの真実も含まれているものと考えるのが通常であろうから、その掲載記事により記事の対象とされた者の社会的評価が低下させられる危険性が生ずることを否定することはできないからである。


名誉毀損の成立時期についても判例があります。


(最判平9・5・27)

「新聞記事による名誉毀損にあっては、これを掲載した新聞が発行され、読者がこれを閲読し得る状態になった時点で、右記事により事実を摘示された人の客観的な社会的評価が低下するのであるから、その人が当該記事の掲載を知ったかどうかにかかわらず、名誉毀損による損害はその時点で発生していることになる。被害者が損害を知ったことは、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効の起算点(同法七二四条)としての意味を有するにすぎないのである。」
「新聞の発行によって名誉毀損による損害が生じた後に被害者が有罪判決を受けたとしても、これによって新聞発行の時点において被害者の客観的な社会的評価が低下したという事実自体に消長を来すわけではないから、被害者が有罪判決を受けたという事実は、これによって損害が消滅したものとして、既に生じている名誉毀損による損害賠償請求権を消滅させるものではない。このように解することが刑事裁判制度の役割を否定することにつながるものでないことは、いうまでもないところである。」
「また、名誉毀損による損害について加害者が被害者に支払うべき慰謝料の額は、事実審の口頭弁論終結時までに生じた諸般の事情を斟酌して裁判所が裁量によって算定するものであり、右諸般の事情には、被害者の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価が当該名誉毀損以外の理由によって更に低下したという事実も含まれるものであるから、名誉毀損による損害が生じた後に被害者が有罪判決を受けたという事実を斟酌して慰謝料の額を算定することが許される。」


名誉毀損の成立時期を現時点に置く考え方は、メディアの責任を不当に免除しかねないという問題は残ります。








奥が深いです、メディア法。
テスト何が出るんだろう(´・ω・)

続・報道と名誉・プライバシーの関係について調べてみました。


プライバシーについてはもう言及してたんですが、テスト勉強もかねてもう一度。
前の日記はこれです。
http://d.hatena.ne.jp/ayaayako/20071114/1194882286
ひとりで放っておいてもらう権利として19世紀アメリカで主張されたプライバシー権ですが、今では情報化社会の展開をふまえてより積極的な、自己情報のコントロール権・自己決定権として発展してきています。


日本では、プライバシーの権利は13条の幸福追求権の一種として憲法上保障されています。判例も結構あります。


(東京地判昭62・11・20)「ノンフィクション「逆転」事件」下級審

「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。」
「もっとも、ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない。」
「そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。」
「要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。」


(最判昭56・4・14)「前科照会事件」

 前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであつて、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり、同様な場合に弁護士法二三条の二に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、原審の適法に確定したところによれば、京都弁護士会が訴外A弁護士の申出により京都市伏見区役所に照会し、同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書には、照会を必要とする事由としては、右照会文書に添付されていたA弁護士の照会申出書に「中央労働委員会京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。


(最判平1・9・5) 「ノンフィクション「逆転」事件」最高裁

「前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。」


(最大判昭44・12・24)

「身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである。」


あまりプライバシーという言葉を使うことは好きではないようです。
権利侵害の要件としては、下級審ですが、次のものが有名です。


(東京地判昭39・9・28)「「宴のあと」事件」下級審

「 被告等がこのような原告の私生活を「のぞき見」し、もしくは「のぞき見したかのような」描写を公開したことによつて、原告はいわゆるプライバシーを侵害されたものである。
プライバシーすなわち身体のうち通常衣服をまとつている部分、夫婦の寝室および家庭の内状、非公開の私室における男女の愛情交歓などその性質が純然たる私生活の領域に属し、しかも他人の生活に直接影響を及ぼさない事項については他人から「のぞき見」を受け、その結果を公開されること、もしくは「のぞき見」の結果であるかのような描写が公開されることから法律上保護される権利ないし利益は民法第709条によつて認められるものであるが、プライバシーが実定法の保護を受ける権利ないし利益であることは次のような根拠からも明かにされる。
世界人権宣言第1、2条は、「何人も、その私生活、家族、家庭、通信に対する、専断的な干渉を受けたり、その名誉と信用に対する攻撃を受けたりすることはない。人はすべてこのような干渉と攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する」と定め、現代法の基本原則の一が私生活の保護にあることを明にしており、民法第709条もこの立場で解釈適用されるべきである。
日本国憲法第13条は、すべて国民が個人として尊重されるとともに、個人の幸福追求に関する権利は、国政上最大の尊重を必要とする旨を明かにしている。プライバシーの尊重は、個人の尊厳の確立と、個人の幸福追求権の実現にほかならないから、国家は国民の一人が現にプライバシーを侵害され幸福追求の権利を妨げられている場合には、その侵害を排除し損害の填補を受けられるように一切の便宜を提供することを要するものと解すべきであり、民法第709条の解釈適用はこの立場においてなされなければならない。
プライバシー侵害のうち、一定の身分ある者すなわち医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁護人、公証人、宗教もしくは祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者が業務に関連して知得した他人の秘密をもらす行為や、正当な理由がないのに他人間の信書を開披する行為は刑法上処罰の対象とされる犯罪行為であり、(刑法第133条第134条)、これら刑事処分の対象となる特殊な行為には該当しないとしても一般にプライバシーが民事上の保護に親しむ権利ないし利益であることは明らかである。
これを要するに、各人の私生活はその人にとつてのサンクチユアリー(聖所)であり、各人は「一人でいることに由来する幸福」を追求する権利を法律上保障されているものであるから、第三者がこのサンクチユアリーに立入つて、出版、映画、演劇、ラジオ、テレビ、写真等の手段(少くとも百人単位以上の多数人に対し伝達の可能性がある手段)でその内容を公開することは、たとえその結果が公開された者の名誉を傷つけず、また信用を低下させるものでないとしても、公開すること自体が人格的利益の不当な侵害であり、このようなプライバシーの侵害から個人を救済することが現代における法の要求に合致するものである。
このようにプライバシーの侵害は、人が通常他人の面前で公表されることを欲しない私生活を「のぞき見」し、または「のぞき見したかのように」して、「のぞき見」しなければ観察できないような私生活の領域に属する事実を推測や想像を交えて作り出して公開することであり、公開された内容が事実に合致する場合は勿論、それが事実そのままでないとしても「のぞき見」された特定人の私生活らしい外観を呈するときはなおプライバシーの侵害となるものである。」
「 言論および表現の自由が民主主義の基礎であるならば、その基礎の底に大きく横たわつているのが個人の尊厳である。したがつて言論および表現の自由が個人の利益よりも優位に立つということは考えられない。
 むしろ一般的にいえば、プライバシーの権利は言論および表現の自由に優先するものと考えるのが正しく、たゞプライバシーの侵害とみえても公表の方法が報道記事であつて公共の福祉に関係する事項であるときや、公人、公職の候補者に関する事項のような特殊な違法阻却事由があるときに限つて、国民の「知る権利」が優先するにすぎないものというべきである。」
「 言論および表現の自由は、表現者の受ける個人的利益のほかに社会一般の人がこの表現を受け取るという利益、すなわち「話す、書くことの自由」のほかに「読む、聞く、知ることの自由」をも包含しており、これらが民主主義の前提条件である。これに対しいわゆるプライバシーは原告の主張によれば個人尊重の自由および幸福追求の権利の一であるというから、この権利は個人の利益を図るものであるのに対し言論および表現の自由は社会一般の利益を図るものであり、民主主義の基盤を作るものであるから、両者が抵触するときは後者の優位が考慮されなければならない。」
「私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもつて当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。けだし、このような公開によつても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。むしろプライバシーの侵害は多くの場合、虚実がないまぜにされ、それが真実であるかのように受け取られることによつて発生することが予想されるが、ここで重要なことは公開されたところが客観的な事実に合致するかどうか、つまり真実か否かではなく、真実らしく思われることによつて当該私人が一般の好奇心の的になり、あるいは当該私人をめぐつてさまざまな揣摩臆測が生じるであろうことを自ら意識することによつて私人が受ける精神的な不安、負担ひいては苦痛にまで至るべきものが、法の容認し難い不当なものであるか否かという点にあるものと考えられるからである。」
「プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによつて心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。」


最後の段の3要件が注目されています。









判例はっただけですが、長くなるので、止めます。
報道の自由との関係をまた書けたら書きます。